2012年04月01日
103年間の人生に
東京駅から最終の新幹線に飛び乗りイザ!山形へ
すると着くや否や雪が降り始めた
もう4月だって言うのにそりゃ無いよなぁ
そんなわけで翌朝は雪もすっかり止んでくれて
今日は父方の祖母の三回忌の法事である。
ホテルの窓から見える景色には雪山が薄っすらと見えて
今日は良いお天気
何しろ亡くなった祖母は103年という人生を全うして黄泉の国へと旅立った。
9人もの子供を産み育て、波乱万丈でも誠に幸せな人生だったと思う。
そんな祖母の最期に暮らしていた家の庭先には
福寿草が春の訪れを告げるかの様にひょっこり顔を出して微笑んでいた。
何だか祖母ちゃんが迎えてくれているみたいな感じだなぁ。
小高き丘の上にあるお寺の先祖のお墓からは
変わる事のないいつもの清々しい景色が広がる。
この眺めが何とも気持ち良いんだよなぁ
祖母ちゃんや祖父ちゃん、あなた方がいてくれたお陰で
今の私達もいるのです。。。
本当に有難うございます。
歳と共に足元がおぼつか無くなっている父と母も
何とか息を切らしながらも、急なお寺の階段を上がって下りて。
ひと通りの儀式も終えて皆でお墓にお参り。
今回は三回忌でもかなりの人数の親戚が大集合。
まるでお葬式みたい
これも祖母ちゃんが呼び寄せたのかも。
そんなわけで法事の席の宴では東京、神奈川、宮城、山形と
各地から親戚が終結してかなり賑やか。
山形の祖母ちゃん、なみさんは生前の80歳代の頃だったと思うけど
その頃に、フジテレビで昔あった「オールスター家族対抗歌合戦」に出場し
「さざんかの宿」を熱唱
優秀歌唱賞を貰っている。
そんなトロフィーを出して来て何だか懐かしい。
祖母ちゃんがこの部屋で晩年は寝たきりになって
おそらくこの部屋の天井をずっと見ながら色々思っていたんだろうなぁ。
皆で集合した二次会はそんな祖母ちゃんが居た部屋。
私が遊びに来た時に祖母ちゃんが隣の襖一枚隔てたこの部屋で寝ていて
私が眠りに着くときに隣の襖越しから祖母ちゃんの
祈る小さな声が聞こえて来たことがあった。
それが「美歌ちゃんが良くなっていきます様に・・・」見たいな事で
目頭が熱くなった事を今でも覚えている。
そんな事を思い出したらまた泣けて来そうになった。
祖母ちゃんは今きっとここに来て皆を労っている気がする。
そんなこんなの宴を後に、私は夕日を見ながら山形駅へ。
mikahino at 23:00│Comments(2)│TrackBack(0)│
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この記事へのコメント
1. Posted by 横須賀夫婦 2012年04月23日 06:48
美歌さんの優しい気持ちが伝わってきて読んでると泣けてきますね。山形のおばあちゃんの愛情いっぱい受けてた幼少の頃の美歌さんはおばあちゃんにとっては宝物だったんでしょうね。
2. Posted by chaisehe 2012年10月24日 08:27
GWは 私が デーゲーム に したい 任意のゲーム の最後の日です。 私 はGW の前に 二つのゲーム で競う ことができなかった 、 それが 憂鬱 の思考 その 機械 月曜日 ですが、私は 東京 のKO の19 F で戦争 の 家に行きました。 私たちは ブルースを 爆破する 、互いの 勝利のために 祈りましょう !